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PSP向けのDL版販売停止やPSP goの修理受付終了など、歴史の終わりを感じさせてくれてるPSP業界ですが、分厚い初期型から愛用していた者として、ほんのりと表裏合わせながら振り返ってみようと思います。

発売日は2004年12月12日。最初の型番はPSP-1000でした。
SONYハード伝統の初期カラーは1種類の流れを汲み、カラーバリエーションはブラックのみ。
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2006年4月にホワイトが出るまでは黒一色展開が続きました。
四角ボタン不良やドット抜け個体などの報告も相次ぎありましたが、私は被害に合わなかったので知らん顔でした。

発売日のラインナップは新作がほぼなかったものの、リッジレーサー、みんごる、三國無双など私好みのものがいくつかあり、本体と合わせて私はリッジレーサーを買ってました。
ロンチで登場した三國無双はグラこそ良かったものの、フィールドがエリア分けされており少し歩くだけで逐一ロードが入るストレスゲーでしたね。のちのち評価されるパズルゲーム、ルミネスも実はロンチとして出ていました。

ピポサルアカデミーアや英雄伝説ガガーブトリロジー 白き魔女、アーマードコアなども少し出遅れるかたちで同月に出ていましたが、当時は移植ばかりで新作がないことからコンテンツ不足と言われてた気がします。
そんなこんなで2014年に出たタイトルは18作にとどまりました。
▲PSP 2004年(全18タイトル)


本体の値段は25000円(バリューパック)と高かったのですが、手軽に動画を見たり音楽を聞いたりもできるうえにPS2レベルのグラフィックを携帯機で体感できるということもあり、高過ぎることもなく適正というか、むしろ安かったといってもいいかもしれません。
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当時はスマホなんてなく(一応W-zeroがあったけど)、みんなガラケー時代でしたからね。モバイルガジェットとしてPSPは頭一つ二つ抜ける形となりました。

動画を入れるのは一苦労あり、クソスペPCで携帯動画変換君に頼りながら時間を掛けてPSP向け動画を編集してました。1時間の動画を見るために3時間の編集時間がかかるというね(笑)

発売日から数年にわたって問題だったのがメモリースティックの値段。1GB1万円。2GB2万円ぐらいだったので、しばらくはバリューパック付属の32MBで戦う日々が続きました。
PSPにDL版が出たのはかなり後期なので、動画とか入れないかぎりはセーブデータが入ればいいという感じだったのでこれでも充分でした。

この頃から裏ではハッカーさんが自作プログラムを配布したり研究したりもしていましたが、この時点では実用的なものはほぼなかった気がします。

2015年
ポポロクロイス物語、テイルズオブエターニアなど、知名度・完成度が高い作品が多く参戦したこともあり盛り上がりをみせるPSP業界。この頃から結構ギャルゲーも出ていた。
モンスターハンターやメガテン、ロックマン(イレギュラーハンター)などのキラーコンテンツも充実してゲーム好きなプレイヤーにPSPが行き渡った時期だと思う。
ブリーチヒットザ・ソウルや流行り神など、長きに渡って続編が定期的に作られたロングセラータイトルの1作目もこの年にでた。
2005年(全94タイトル)

2005/03/24 FW1.50が公開。
初期FW1.00にあったセキュリティーホールが一部潰されたものの、裏では自作プログラム研究が盛んになり、スマブラのクローンアプリやファミコン、スーファミ、ゲームボーイなどのエミュレータアプリはこの頃から実機レベルに動くものが配布されてた気がします。
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当時はDL違法化の罰則もなかったので、グレーゾーン扱いでDLだけならセーフみたいな風潮があり、ロムを落としてドラクエとかやってた人も多いのではないでしょうか。
この頃はPSエミュやN64エミュもなく、GBAエミュはあったもののカクカク音割れ状態で使い物にならなかった時代でした。
この時代から既にUMDの吸出しアプリも存在していたため、バックアップ起動などもできてた気もする。当時はメモステ起動とか言われてたが、前述のメモリースティックの値段の高さや吸いだしたソフトの起動率の悪さなどから流行ってはいなかった。
あくまで自作アプリゲームや、エミュってレトロゲームを遊び直したい一部のマニアだけが改造を楽んでた良い時期だった気がします。

2005/05/11 
FW1.51が公開。
このバージョン以降のプロテクトは毎回堅牢になっていたため自作アプリが使えず、カスタム目的でPSPを買おうとするユーザーは旧バージョン個体探しに明け暮れた。状態確認をお願いするふりをして本体情報をチェックしたり、電池を外したところの本体封印ラベルを見たり、箱のバーコード横の印字で出荷時期判断したりと涙ぐましい努力による研究は長年にわたって行われた。

やり方はうろ覚えだけど、この頃に発売したダービータイムやワイプアウトのソフトを使い、PSPでインターネットのHPを見る方法が発見されちょっと話題になった。
この頃のPSPにブラウザ機能はまだ実装されていなかった。
ヤフーのトップページを表示するのにも苦労するため、実質使い物にならなかったが可能性を感じさせてくれる裏技だった。

2005/07/27 FW2.00が公開。
PSP発売後、初のメジャーアップデートであり、ブラウザ、壁紙、テーマ設定、TIFF、GIF、PNG、BMPサポートなど数多の機能が追加された。
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この辺で店頭に並んでいるものの殆どからFW1.50以下の個体をみることがなくなり、ヤフオクなどで旧バージョン個体が高値で取引されてたりもした。

新たなセキュリティーホールを突いた自作アプリの起動方法が10月ごろに発見され、FW1.50にダウングレードも可能となり、旧バージョンテンバイヤーは壊滅した。(この流れは新バージョンが出てくるたびに続く)
旧バージョンに戻すと自作アプリを楽しめるが、バージョン規制で最新ゲームを遊ぶことができなかったので、旧バージョン⇔新バージョンを行き来する流浪者やバージョンを分けてPSPを2台持ちもする人もいたのではないだろうか。

この頃かな~?PSP Revolutionという自作アプリが作られて、色んなユーザーが曲を投稿配布して、タダでハイレベルな音ゲーをPSPで楽しめたのは・・・・
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ステップマニアのPSP版といってもいいこの自作アプリ。
長年にわたって機能追加や曲のラインナップの充実がされて、今考えると凄いアプリだった。
調べてみると、今もボーカロイド曲がこれ向けに仕上げたファイルが配布されてたりと愛用者も多いみたい。

PSP後期時代にPS3を経由する形でオンラインプレイが可能になるアドホックパーティーがあったが、その前身とも言えるXlink kaiも既にこの時期から知る人ぞ知る形で盛り上がってた気がある。
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私はルーターやらなんやらの仕組みについてはこの辺で学んだね。
PS3もなかった時代なので、オンラインプレイ自体が非常に珍しいものだった。
当時は出来るだけで感動してあんまり意識してなかったけど、ラグもけっこうあったのかもなー。
遅延を感じる前に大体が切断落ちするんだけどね(笑)それでも楽しめた時代でした。

きりが良いので今日はここまで
2014年~2015年をまとめるだけでも結構書いちゃったね。

2話が書けるかどうかは反響次第で。


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